なぜ私は支援員を続けているのか②

前回、支援員にかける私の思いを書きました。が、あれは、中学生の質問への答えであって、私の本当の思いは、もうちょっと違うところにあるなぁ、という気がしています。

脇道その2です。

 

数年前、息子の友人が14歳で命を断ちました。伝わってきた話では、学校でいじめられていたらしい、と。

その子とは、あるスポーツチームで一緒でした。ちょっとマイナーなスポーツなので、市内に1つしかチームがなく、市内全域から子ども達が集まっていました。みんな学校がバラバラなので、学校での姿はグランドでは分かりませんでした。いつも笑顔で仲良しの子とじゃれているような子でした。

その子の葬儀には、スポーツチームの関係者は100人以上集まりましたが、学校関係者は数人だけ。ご両親が同級生には来ないでほしいと頼んだそうで、先生も5人くらいしか来ていないようでした。

 

後日、色んな噂を聞きました。

学校側はいじめを認めないらしい。いじめではなく、一緒にふざけていただけ、と加害者達が言っている、とか。ご両親に「マスコミには言わないように」と念を押してきたらしい、とか。

スポーツチームのあるコーチが、本人から相談を受けていた。が、そのコーチは根性の固まりのような人なので、「学校には行け。負けるな。」とアドバイスしていた、とか。

 

どうして学校はいじめを隠蔽したのだろうか?先生達は彼の悩みを知っていたのだろうか?

どうして彼は、もっと別の人にも相談しなかったのだろうか?

モヤモヤは今も晴れません。

もし私が、その子の学校で働いていたら、何か気付いてあげられたでしょうか?

彼のために何か行動してあげられたでしょうか?

 

支援員という存在は、先生のような先生でないような、微妙な立場にあります。教室では、子ども達に近い側にいつもいて、話しかけやすい存在なんだな、と感じています。

個別支援の時間だと、担任の先生の悪口を吐き出していく子、部活の悩みを打ち明けてくる子、いじめられていることを仄めかす子、「死にたい」なんていう本音を漏らす子もいます。

そんな時は、勉強は後回しにして、話をじっくり聞き、私の考えはちょっとだけ差し挟んで、他の先生に話して良いか確認してから、クラスに戻します。

 

担任の先生に伝えても良いと本人が認めたことは「こんなことを言っていたからこうして欲しい」と伝えるようにしています。「本人が困っています」と伝えても、何もして下さらない先生もいるので。

 

本人が内緒にして欲しいと言った時は、他の先生には言わないで、私一人で対応する場合もあります。心が落ち着くまで話を聞いたり、私自身の体験を話したり。

「そこまでするのはあなたの仕事じゃない」と言う人もいるかもしれません。

でも、目の前にいる子どもが、この人なら話しても大丈夫そうだと信じて話してくれている訳ですから、その信頼に応えることは、人として当たり前のことだと思っています。

 

個別支援の時間にボソッとつぶやいた内容を私が担任に話したことで、いじめが発覚し、解決に向かったこともありました。その子は、担任には話せなかったと言います。先生のような先生でないような人だからこそ、打ち明けても良いかな、と、心のハードルが下がったのだろうと思います。

 

子ども達の心に寄り添う--それが私の一番の仕事だと思っています。

だからこそ、この仕事は自分の天職だと信じています。

たかだか年収100万円のパート勤務が、何を言ってるんだと笑われるかもしれませんが、この仕事をしていれば、私は幸せなんです。そして、出会った子ども達に少しでも笑顔と自信を取り戻してあげることこそ、私の生き甲斐なんです。

 


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